市原歌人会 令和二年短歌会が無事終了しました。

市原歌人会 令和二年短歌会が無事終了しました。



令和二年秋の短歌会には25名の方が参加され、応募作品は50首になりました。コロナ禍での短歌会の為、募集から小林幸子先生による講評、詠草集の発送など全て郵送で行った短歌会でした。


小林幸子選者賞


◇第一席

ひざまづき草取りて来し数十年いつものように一と日継ぎけり     田中 聖子


 コロナという言葉は使われていませんが、外出を制限され、感染の不安を抱えてすごす日常を、つつましくいつもの暮らしを継いでゆく場面で表しています。「ひざまづき草取りて来し数十年」が草を取る実景として、また作者の生き方の象徴のようにも感じられます。

数十年という時間に一日一日を継いでゆくこと、コロナ禍の時代を生きてゆく静かな意志が伝わります。


◇第二席

両の手に余れるような鶏頭の赤きが雨にうなだれて  秋        市川 一子


 鶏頭はその赤い色もざらざらした質感も独特で印象の強い花ですね。

雨の日がずっと続いていて鶏頭も陽光不足なのでしょう。

量感ゆたかな鶏頭の花が雨にうなだれている光景は、季節まで狂ったような今年の夏を象徴しています。結句の「秋」は、ふいうちのように来ている秋に胸をつかまれるような感覚を捉えています。


◇第三席

ハンカチにテッシュ、マスクは持ったかと今日も聞くらん夫在るならば  富岡 光江


 妻が出かけるときいつも玄関で「ハンカチにテッシュは持ったか」と確かめた夫の姿が思い浮かびます。けれども今はコロナ禍の日々、夫は必ず「マスクは持ったか」と聞いたでしょう。不安と孤独感のつのる日々に、亡き夫のなつかしい声が聞こえてくるようです。

その声は作者を励ましているように感じられます。







 


市原歌人会 令和二年秋の短歌会によせて       小林幸子


  市原歌人会の皆さま、こんにちは。小林幸子と申します。

 このたび、市原歌人会・秋の短歌会の出詠作品に短評、アドバイスなどを記させていただきました。詠草一首一首と向き合い、味わう時間はとてもゆたかな愉しい時間でした。

 コロナ禍で短歌会開催はかないませんでしたが、詠草からそれぞれの作者の面影がたちあがりなつかしい気持ちになりました。

 昨年九月の台風十五号の房総半島上陸、十月の台風十九号の大雨により、市原にも大きな被害が出ました。「短歌研究社」の呼びかけで歌人二十人が台風被災地を訪ねたのは十二月十一日、十二日のことです。小湊鉄道は上総牛久から先は不通になっていたので、五井駅から数駅ですが、車窓から市原の風景をながめました。まず「海土有木」という駅名が歌人たちの興味を引いたようです。「海士」は「尼」かもしれないし「有木」は「在りき」「歩き」であったとも考えられます。海があり国府や国分寺があり、牛久の宿場が栄えた時代を想像しました。牛久からはバスで笠森観音へ、車窓には紅葉の残る里山と田畑が見えて、斜面の所々にブルーシートが懸かっていました。バスは養老川に沿って走り養老渓谷にゆきました。観光客のだれもいない養老渓谷に紅葉が映えていました。

・朝焼けの空に残れり白き月きらきら光る川面の中にも    岡本 優子

・早朝の川瀬に白き鳥一羽釣り人一人養老川に

(詠草集より)

 今年はコロナ禍の影響でひっそりとしているでしょうか。きりりとした空気のなかに養老川の風景が目にうかびます。

先日のニュースに、彼岸花の中を走る小湊鉄道が映っていました。来年の歌人会の短歌会で皆さまにお会いできたらうれしいです。

 お元気で、それぞれの歌を思い深く詠ってください。


プロフィール

1945年 奈良県生まれ 千葉県松戸市在住

現代歌人協会員 「塔」の編集委員

NHK短歌講座講師 NHK千葉カルチャーセンター短歌教室講師

歌集近著 第九歌集 『六本辻』 『小林幸子歌集』現代短歌文庫(砂子書房)






第29回市原市短歌会の様子

              第29回市原市短歌会の様子

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